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札幌市議会議員(中央区) はせがわ 衛

応援メッセージmesseg

彼 長谷川衛

ひとは やさしさだけでは生きていけない
やさしさなくして 生きる資格がない

これは フィリップ・マーロウの名セリフだが
この度の市議選・中央区・立候補者
『長谷川 衛』 の生きざまにも
日々のくらしのとじ蓋のように
ピタリとかさなります

やさしさとは 広くは
慈愛しみの世界です
市井の屋根瓦の下や井戸端では 義理と人情
この瑞穂の国を数千年にわたって支えてきた
それは 滅私奉公
日々 折々の気配りであって
ひとを思いやるこころ
その実りたわわな「情の世界」です

ともあれ バブルはじけた後の
不信と疑惑
憤りと諦め その「黄・シグナルの時代」
かれは 札教組・六千六百余人のリーダーとして
五年間 その重責を誠心誠意全うしてくれました

彼 本来のすがたは 現場・主義
<生徒>が 好き
<部活>のピュアーな汗の匂いが 好き

教えることとは 自らも教えられること
育むことは おのれをも育むこと
それをモットーのかれが
あえて「教檀」を離れたのは

それもかれの「やさしさ」
組織存亡を憂えたかれのやさしさです
先達の勝ちとった<遺産>の継承
それが願いの五年間
ご恩と奉公の五年間でした
その彼が ふたたび
ご恩と奉公のその延長上
住み慣れた藤野の高台の住居をあとにして
平成十五年度の札幌市・市議選に立候補
この中央区は かれの父母の地縁・血縁の地
かれの生まれ故郷でもある

  故郷は 遠くにありて想うもの
  そして 哀しくうたうもの

まさにその通りで
その時 其処は
ある日の見知らぬ「帰還者」の 彼
『長谷川 衛』を笑顔で受け入れる<地盤>はなかつた

彼は 票田・零メートルの地点から
こころある仲間共々の協賛を背にして選挙運動を開始した
その問 わずか半年にも満たない
平成十五年四月十三日
彼は 六千百四十票の支持票を得た

これは まさに 快挙!
でもその現実は 厳しかった
かれの選挙事務所の「ダルマ大師」は
片目のまま ジツと薄暗がりを見据えているばかり

彼は この現実をしかと受けとめたが
そこには 敗北宣言はなかった
この苛酷とおもわれる躓きは
かれが避けてとおることの出来ない一つの試練
それは 明日へはばたく者の
スプリング・ボードともなる

その日から 彼は 決意もあらたに
四月は朝靄のスタートラインに立った

そこには かれのひめた矜持
ひとにはふせたままの負けじ魂
そしてなによりも いま現在 ここにこうして
自分があることの ひとへの<恩返し>の心意気
かくして 早四年の歳月が経ち
今日 平成十八年九月二十六日
彼は 晴れて「事務所開き」をむかえた

ここまでの四年間の
遠い 遠い道程
それは 蓮根の穴ぼこを吹きすぎていく
日々の暮らしの隙間風のように
不安と 落ち込み
孤立無援のさびしさを
幾夜となく心底あじわったにちがいない

だが 今日 ここに
一回りも二回りも大きくなって
彼は 笑顔で立ちつくしています

さて ネクタイとスーツ姿の彼は
いまだに少々野暮ったさが窺え そこが微笑ましい
そう 彼は 市井の俗人のひとりです
彼は 凡人そのものです
ひとは 凡に撤したときに
それに身もこころもじつと耐えたとき
ある日 突如として凡が非凡の輝きを放つ

彼は 渓流釣りが好き(腕は まさに名人級)
彼は テニスが好き (腕は アマの五級止まり)
彼は 酒が好き(乱酔 一度見てみたい)
彼は パチンコもたまに弾く(勝率は 七勝八敗?)
彼は 妻子に弱い(これ 万国共通 男共のアキレス腱)

彼は 「義」のおとこです
彼は 「情」のおとこです
そして この世の「清」と「濁」をともに弁えたおとこです

あなたのきょうの温かい支援が
中央区二十万六百余人の一つの声として
日々 草の根に結実することを切に願っております

  〜事務所開きによせて〜2006年10月2日***** 長谷川 衛 後援会会員(T・K)

[長谷川先生のこと]

私が長谷川先生と出会ったのは、中2の時でした。田舎の学校から札幌に転校してきて、中2・中3と、先生に受け持っていただきました。当時私の家は、両親の仕事の都合で母とは離れて暮らし、父子世帯で生活していました。教師の中には、そういう片親世帯に対して偏見を持った方もいた(と私は思う)のですが、長谷川先生は、特別扱いをする訳ではないですが、何気なく温かい気遣いを示して私を見守ってくださいました。

 思春期の多感な時期に田舎から都会に転校してきて、あまり道を踏み外さずに歩めたのは、当時の担任、長谷川先生のお陰が大きかったと思います。なぜなら、多忙を極めていた父とよりは、担任と接する時間のほうが長かったのですから。また、先生は学級運営もお上手だったので、クラスの雰囲気がとてもよかったことも、私にはありがたい事でした。

 志望高校決定の際には、第一希望の学校を受けるには少し内申点が足りず、第二希望の学校を志願しました。その時に、先生は「○○子(私の名前)だったら、高校に行ってからも頑張ったら、きっと□□大学にだって入れると思うぞ」と励ましてくださいました。正直言って、第二志望校に行くことは少し残念なことでしたが、先生の言葉を何度も思い出して、自分を勇気づけました。そして、お陰様で□□大学にも合格する事が出来ました。「よい教師は上手に教える、しかしもっとよい教師は生徒の情熱に火をつける」という言葉を聞いた事がありますが、長谷川先生は、生徒を認めその力をぐいぐい引き出してくださる方です。

 卒業してからも、先生のクラスの同窓会は盛況です。卒後10年目には、中学時代に書いた『10年後の私』という作文を文集に編纂して、旧交を温め合いました。その文集を作る時にも、先生が多大なご尽力をしてくださいました。現在、卒後30年近く経過していますが、今でも当時のクラスメイトたちとは先生を囲んで時々会っています。

 社会人になってから、先生とお酒を飲みながら話したことの中で、印象に残ることがあります。それは先生の次のようなお話です。「家庭訪問に行くと、生徒がとても大変な家庭状況の中で生活していると分かる時がある。そういう時に、学校の教師のできることには限界があると感じる」,「中学生になってからではもう遅いこともある。もう少し早い時期にもっと何とかしてやりたいと思うことがある。だから、幼児教育にも関心があるんだ」。

先生が選挙に出馬すると伺った時に、私は「長谷川先生らしい」と思いました。先生は“学校の教師としてできることには限界がある。学校や子どもたちを取り巻く世の中を、もっと土台から変えていかなくてはダメだ” というお気持から、大きな決断をなさったのではないかと思いました。教師としての豊かなご経験を通して先生が培っていらした事を、今度は行政の舞台で生かしていただきたいと願っております。
                    *****40代女性  専門職


記憶、

日高の山奥の小さな小学校で過ごした五年間は毎日野山を駆け巡り
お弁当を食べて終わる生活でした。そんな私が苫小牧の緑小学校に転佼。
すべてに遅れており(特に勉強)途方に暮れた小学校六年生。
気を取り直し和光中学佼に進学するもすべて引きずり気を落とす中学一年。
このままではいけないと思い、二年生になる前の春休みの間に一年生の
時の苦手教科の教科書をやり直しをしたが、なんとしても暗記や書き取りだけでは答えのでない数学が小学生レベルでした。
またもや途方に暮れて迎えた二年生。
ナント担任の長谷川先生が数学担当、二年生になって間もないある日勇気を持って先生に相談してみた「一年の最初からやり直したいのですが授業とは別に見ていただけますか?」すると先生は大きな目で私を見つめ「いいべさ、昼休みとか放課後にやろうか」と言ってくれてその日から猛特訓が始まり、目標は夏休みが終わるまでとしました。
日々はもちろん、日曜日も夏休みも返上し先生の自宅までおしかけ猛勉強しました。
秋口より効果が出始めて、「わからないことがわからない」から「ここがわからない」となってきて「これはこれでいいですか」と進歩していきました。
テストの点数も徐々に上がって気がつくと数学が一番得意な教科になってました。

それからはさまざまな面に自信が出てきて積極的な行動をとれるようになり
友人にも恵まれ楽しい学校生活をおくることができました。

今現在、何かにトライするとき 「やれば出来る」と思えるのは、中学の時にできない数学をできるようにしてくれた長谷川先生のおかげだと思っています。

あの時一緒の教室で学んだ全員が 長谷川先生に感謝していると思います。
そして、そのなかの一人であることに誇りを持っています。

今度は私の方からエールを送りたいと思います。

先生  がんばれ!
                *****卒業生第一号いまだに出来の悪い生徒

長谷川先生の思い出

長谷ちゃんは私の所属していた軟式テニス部の顧問であり、中2〜3の数学担当の先生でした。とにかく何事にも手を抜かない、熱い先生!でした。
テニスをしていても生徒相手に(大人気なく)本気で打ち込む、打ち込む!
それも独特の打ち方で!
ラケットのガットが切れてしまった時は職員室で張り替えてくれました。
その時も黙々と張ってくれるのではなくて、「先生はこう思うけど、おまえはどう思う?」というように、学校のこと、授業のこと、部活のことに対する生徒の意見を、自分と対等な立場の人間として聞いてくれる先生でした。だからといっては何ですが、私はガットが切れて職員室に行って先生と話をするのが楽しみでした!
「相手を年齢、性別、社会的立場などで判断せず、常に一人の人間として対等な付き合いをする。」私はそのことを長谷川先生から教わったと思っています。
                    *****42才 主婦


長谷川先生のこと

私は、長谷川先生の担任クラスの生徒ではありませんでしたが、先生の授業が大好きでした。
先生の授業は、緊張感があり、身の引き締まる思いがしたものです。いつもは、おしゃべりに花を咲かせている私達女子生徒もツッパリ君も、その他すべての生徒が、数学の授業では、おとなしく、熱心に授業を受けていました。それは、先生が、ただ厳しかったからではなく(たしかに厳しかったのですが!)どの生徒に対しても、100%の愛情で、根気強く向き合って下さっていることを、皆わかっていたからだと思います。もちろん、わかりやすく、楽しい授業だったことは、言うまでもありません。
授業中、いつも「 聞くは一時の恥、知らぬは、一生の恥だぞ! 」と言って、多感な年頃の私達に、わからないことは、わからないと声にだせる土壌を作って下さったことも印象的です。
当時から十数年経って、教員生活最後の頃に、「当時の生徒も、今の生徒も、教え子は一人残らず、皆、本当にかわいいんだ。これまでの教員生活が、私の財産なんだ。」と大きな目を細めて話して下さいました。このように、おっしゃって下さる、長谷川先生に、当時たくさんのことを教えて頂いたことを、心から感謝しています。
長谷川先生でしたら、強い信念のもと、決して最後まで、諦めずに、市民一人一人を大切に思い市政に取り組んで下さることは、間違いありません。
                    *****33才 客室乗務員


卒業生第一号 

大きな目と大きな声、ちょっと怖いかな…それが先生の第一印象でした。しかし、その風貌とは裏腹に、いつも生徒の事を一番に考えてくれる先生。 挫けそうになるといつも聞かされた『やってやれない事はない、やらずに出来る事はない』の励ましの言葉は私たちの心にも浸透し、今も辛い事、壁にぶつかった時に、心の中に響いてます。
今私も2児の親となり、学校の先生が子供に与える影響の大きさを、とても感じています。先生は子供達の未来の決め手とも言えるのでは、ないでしょうか!?その現場を一番良く解っている、長谷川先生には、是非その掛け橋になって欲しいと思います!
北海道の子供達に明るい未来をお願いします!

                           *****二児の母より


かれ 長谷川衛

あの時節はじけたのは
「バブル」だけではない

春の日本海
初夏の津軽海峡 そして
この北の国の清々しい秋空も
ひとのこころも
瞬時 はじけた

そんな指針・瓦解の時代
日々 寒風吹き過ぎる時代
かれは その真冬の季節の渦中に
自らの意志でわが身を投げだした

そこには 殉ずる者としての傲りはさらさらない
そこには 「組織」存亡の危機意識と
逆風に立つ者の矜持
それを一言でいったら
かれを育んでくれたものへの 「恩返し」
『夕鶴』のつうにも似た
哀切なこころ意気があった
それは 迷いと躊躇いのはての決断
でもあったにちがいない

ともあれ この不信と低迷の時代
かれは 札教組・六千六首余人のリーダーとして
こころある仲間共々 誠心誠意 いとも堅実に
この五年間 その重責を全うしてくれた

そのかれが この度 わが市の
中央区・市議選に立つという

かれの立侯靖の経緯については
様々な情勢のおもわくは推察できるとして
かれの最終の決断は やはり
『夕鶴』の「つう」の胸のうちがきっとその引き金

かれは この度も
「恩返し」がしたいのだ
かれの生まれ育った故郷 わが「札幌市」へ
五十男の「知」と「理」の明るさで
いまこそ 「恩返し」がしたかったのだ

かれは 「義」の男です
かれは 「情」の男です

かれは 渓流釣りが好き(腕は 名人級)
かれは テニスが好き(腕は 二流に近い三流)
かれは 酒が好き(陽気・気配りの酒)
かれは たまにパチンコも弾く(勝率は 天気予報並み)
かれは 妻子に弱い(これ 万国共通)

かれは こどもが好きだ
かれは 自然が好きだ

かれは 「壇上」が本心は嫌い
かれは 居丈高は大嫌い

かれは フェミニスト
かれは 理想家であって「現実派」

こうしてみると かれの素顔は
市井のあなたの一面にそっくり重なる
そう かれは いつだって
あなたの日々の横顔によく似ている

ひとは 凡に徹したとき
それに身もこころも耐えたとき
ある日 突如 凡が非凡のかがやきを放つ
それがかれの現在のプロフィルです

そのかれがある夜の酒席で呟いたこと
おれって お年寄りに好かれる
これが なんともふしぎだ

これ ふしぎでもなんでもない
お年寄りこそ ほんとうは
「爪をかくした 鷹」
そのひとたちに好かれること
それは まさに慶賀なこと
かれのひとなりの証しです

きょうは この紙面をおかりして
彼 「長谷川 衛」を紹介しましたが
この市の 「市政」
無私 無欲 ひたすら

「恩返し」のこころ意気で立つものは
そうザラにいるとは思えません

あなたのきょうの支援が
中央区・18万5千余人の一つの声として
草の根に結実することを 切に願っております
 
            2006年5月3日*****元同僚61歳〜詩人

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